Facebookはやっぱり恐かった

少し前に、久しぶりにFacebookにログインしてみた。
メディアとしてのインターネットはかなり好きだし、インターネットの未来はまだまだ捨てたもんでないと思っているけれど、FacebookmixiなどSNS系のコミュニケーションツールというのは、どうにも馴染めない。もちろん、モバゲもGREEも、たとえいまやiPhoneでそれなりに遊べるとしても、まったくやる気が起きない。
なぜ馴染めないのか? 自分のネットに対するスタンスが、旧来のメディアに対するそれと同じだからなのか、それとも俺が引き蘢り傾向の隠れコミュニケーション障害だからなのか。もしくは、とにかく「参加」が大嫌いな天の邪鬼だからなのか。
自分でもよく理由は分からないし、これ以上あまり考えようとも思わないけど、久しぶりにログインしてみたFacebookは、やっぱり直感的に「ああ、俺はここに居ちゃいけないなぁ」という妙なプレッシャーを感じる場所だった。その感覚は「ちょっと恐い」というものに近いと思う。ネット恐い。初めて2chにアクセスした人が感じるようなまさにそんな感じだ。
「お友達ですか?」とか言いながら知らない人の顔写真を送りつけてくるFacebookだけど、あれ、送られている本人はいったいどう思っているのだろうか。そもそも、見知らぬ他人に友達関係が公開されてしまっていることを認識しているのだろうか。
知らない他人に自分の趣味アイコン画像(Fallout3のB.O.S.とか)や間抜けに引きつった笑顔のリアル顔写真を、これまた知らない間に公開されているなど、俺だったら出来る限り遠慮願いたい。
たぶん、いわゆる自意識過剰ってやつなんだろうと思う。もしくは自己評価が低過ぎて他人に見られる自分が許せないとか何とかかんとか。いづれにせよ、無意識のうちに自分を曝け出すことに恐怖を感じる俺には、ああしたサイトに己の個人情報を登録するなぞ到底楽しめない。自分のよく見える部分だけ載せてそれなりに体裁を整えられる人はまだいい。常に人生迷走の連続である我が身では、捏造投稿でもしない限りそんな芸当できやしない。
それにしても、例え自分の場合は極端な心的引き蘢り傾向からFacebookを恐れているのだとしても、GmailやらローカルPCのアドレス帳からメールアドレスをインポートすることが、結果、見知らぬ他人にプロフィールを公開することになると知れば、誰しもあまりいい気分はしないんじゃないんだろうか。それとも、「友達の友達だからOK」という、たいへん前向きかつオープンな気風というのが既にこの日本のインターネットでもスタンダードになりつつあるのだろうか。
俺は、そうした知人や友人(長らく会っていない)に「お前、君、あなたの友人関係が、アドレス帳にメアドが載っているだけの【顔見知り程度の人間】に筒抜けですよ」と警告してあげたほうがいいのだろうか。しかし、それを警告すると、自分は、その知人・友人にとって「勝手に人間関係を詮索したアンモラルな人間」ということになってしまう。なんと恐ろしいことだろう。
こんな俺にとって、Facebookやってないと就職活動も満足にできんとか、Facebook上で200名以上の友達がいる学生は一次面接免除とか、会社説明会行ったらそこの社員から友達申請来るとか、まったくもって意味不明であり気違い沙汰である。なんで勤務先に上記のような友人関係まで公開しなきゃいかんのだろう。もし就職活動専用のアカウント作ったとしても、「この人、アクティビティ低いなぁ」とか言われて評価下がっちゃうのだろうか。バカじゃないだろうか。
数少ないリアル人間関係でもいっぱいいっぱいな俺には、Facebookの活用なぞ夢のまた夢であるので、またしばらく「こんにちは。最近Facebookをあまりご利用いただいていないようです。」とメールしてもらうことにしようと思う。